所感
この2つの中国映画は、それぞれ関連はないものの、2020年の12月と2021年の2月、三か月くらいの間に公開されています。「二つの世界」は春節だね。
公開は「陰陽師 とこしえの夢」が先、でも撮影を開始したのは「陰陽師 二つの世界」の方が先。
それぞれ原題は「晴雅集」「侍神令」で「晴明」という名前の主人公。
流行ってたの?その頃、あちらでは、安倍晴明が。
スケートの羽生くんの「SEIMEI」は2015~2018年平昌オリンピックくらいまでだったらしいので、その影響もアリでしたかねえ?
「陰陽師 とこしえの夢」は、夢枕獏の小説がベースってことになってますが、「陰陽師 二つの世界」は「陰陽師」というスマホ用RPGゲームがベースらしい。中国のゲーム会社の制作だけど、声優さんは日本の有名どころが使われていて、中国版でも日本語実装だったんですと。知らなかった。
ゲームのサイト見たんですが、式神一覧の中に、犬夜叉、殺生丸、桔梗がいるのはどーゆーコトだ!?ビジュアルもまんまだぞ?なんかコラボしてたんかな?
私は小説も読んだことはないのですが、「とこしえの夢」も、きっと小説とは別モノですよね。
とは言っても、日本で一時期「西遊記」がたくさんメディア化されてたのを中国人が見たら、うん、別モノだねと、きっと思ったであろうと思うので(笑)そういう「別モノ感」に関しては、個人的にはさほど気にはなりませんでした。
あ、「ドラゴンボール」だってそうよね。
「とこしえの夢」に、晴明の師匠、賀茂忠行と鶴守月の二役で出演している汪鐸(ワンドゥオ)のインスタに、「悟」って書いてあるオレンジのシャツ着た写真が何年か前にアップされてたのを思い出した(^m^)
名前や多少のモチーフを使って、別モノのエンタメとして昇華しているものは多々ありますしね。
なので、まあまあ、名前と概念をちょいと借りてみたんだと思えば。
でもそう考えると、むしろ別モノなら別モノで、夢枕獏の小説を原作としなくてもよかったのでは?もっと言ったら、あのストーリーなら別に「晴明」でなくてはならない理由もないかもしれない(笑)
中国には、崑崙だの仙人だのっていう、自在に料理できるコンテンツがたーんとあるのに。
うん、でも分かった。晴明にしたかったんだね。
和と華MIXの妖し美し世界観にしたかったんだね、よしよし、と思ってしまったよ。
「とこしえの夢」の舞台は中国っぽいけど、晴明は師匠から東へ行けと言われて都に行ったりしてるから西の人みたい。ラストは小舟で枝垂れ桜の故郷に帰ってったりして、国の違いは取っ払っちゃってる感じのMIX感。
「二つの世界」の舞台は平京城って名前で、陰陽寮があったりするんだけど、源博雅が金吾衛の人だったりするMIX感。
ということで、それぞれについて少々。
ネタバレです。
陰陽師 とこしえの夢 (晴雅集)
まず情報として。
この映画は、公開10日くらいで監督の盗作疑惑が浮上して上映中止。続編も出来てたみたいですが、そちらはお蔵入りになっちゃったらしいんですな。
死んでしまった南疆(なんきょう)の阿瀧(アーロウ)法師が最後、ピクッとしてたので、そこから続編に繋がるのでしょうけど。
日本では、Netfrixでこちらだけは見られますが、厳しい本国ではもう見られないっぽいですよね。
監督の郭敬明(グオジンミン)って人は、ドラマ「幻城」の原作者で小説家なんですが、あちらでの評判は散々なもんのようで。盗作疑惑だけじゃなく、同性相手のセクハラ疑惑もあるみたいで、映画も本人も、めっちゃくちゃ叩かれてんの、見ちゃった。なんだかなあ。
当然、役者さん達は一生懸命演じたはず。
汪鐸なんか、賀茂忠行の老けメイクだの鶴守月の蛇のウロコメイクだのに8時間も9時間もかけて、それを落とすのにも2時間とかかかってたらしいのに。ウロコなんて上裸で立ちっ放しで貼ってったらしいよ?
なのに監督がパクリ疑惑トカ。しかもその噂は今に始まったことじゃないトカ。
叩かれ易いタイプの人ではあるようだけど、学習しておくれよ。周囲への余波がデカイんだから。
そういえば、郭敬明はお蔵入りになった「朧夜曲」も含めると「郭敬明」名で映画は4本撮っていて(名前変えてる作品もあるとか?ドラマかな?)、その全部に、汪鐸くん、出てるの。「幻城」にも出てたみたいだし。オキニ?
その後、ちょいと調べました。汪鐸の出場した「中国好男儿」ってコンテストの審査員だったのね、郭敬明。汪鐸は準優勝したらしいですが、やっぱり郭敬明のお気に入りのようでしたね。
とまあ、それはそれとして。
映画はね、全体的に絵ズラはとっても美しくて、お金かかってるなー感もあって、そこは本当に素晴らしかったのですが。晴明と博雅を主人公コンビとすると、物語自体が弱いというか、2人の絆、そんなに感じられなかった気がしちゃってねえ。
これって、私が2人に余り興味がなかったからだろうか←(笑)
と思えば、そこそんなに拘らなくてよくない?みたいなところに時間かけてた感も。
博雅が異様に妖魔を嫌うのなんて、家族を妖魔に殺されてるとかなんでしょうよとすぐに思いつくし、それくらい晴明が思い及ばない訳がないのに、博雅がそれを口にするのに、だいぶ意味なく引っ張ってたような。
反発していた博雅が、晴明に心を開いていく過程の描写なんだとしても、早々にぶっちゃけたって特に問題なくね?
博雅はすぐに手が出るケンカっ早い人って晴明の台詞にもあったし、何度か突っかかってるシーンもあったんだけど、鄧倫(ダンルン)のビジュアルって、そういう熱いタイプって感じじゃないよね。黙って睨みを利かせるクール系に見えちゃう。むしろ母はキツネの妖魔です、晴明ですってほうが、見た目は似合ってる気が。
それもまあ、日本の晴明像なのかもしれませんけど。
晴明、博雅関係で、唯一面白かったのが、博雅が晴明に、昼間っから妖魔の女を侍らせて酒盛りかよと軽蔑した目で見たら、翌日は同じシチュエーションで侍ってたのは全部男だったってとこ(笑)
画面はそりゃー美しいし、師匠の式神たちの登場も無駄なっくらい(ゴメン 笑)カッコ良かったし、CGを駆使した式神殺生石!(私は栃木出身(笑)のバトルっぷりや、大蛇のクリーチャーとかはなんかキモすごいな…なんだけども。
式神の概念もご都合に見えてしまいました。
式神は妖魔なんじゃなかったの?だからそれを使役している晴明を博雅は嫌っていたのに、博雅が朱雀のエネルギーみたいなんを取り込んで、晴明の式神になれちゃうとか。
朱雀は妖魔なんですか?四神じゃないの?霊獣でしょ?いっしょくた?
そしてそうなったらもう、博雅は人としての生を捨てたってことじゃないの?
式神博雅は崩れ落ちたのに、最後に、あれは朱雀だ、私じゃないトカ言うてピンピンしてましたが。
晴明も刀貫通したけど、事後、平然としてたしな。
というですね。脚本も監督らしいんだけど、うーん。
だから最後の別れの時、寂しそうに2人共涙ぐんでるのが、え、なんで?みたいな取り残され感。
確かに、守護呪が使えなかった晴明が、最後に倒れている博雅を守るために守護呪が発動できるようになったって形で終結してたけども。
お互いに大事だと思ったから、式神になった、それを守ったってことなんでしょうが、いつの間にそこまで?って感じで。
でも、師匠本人ではない式神の鶴守月も、晴明がそこだけは半端だってコト知ってたんだねえ。本物の守護を見せてやるーとか叫んでましたな。確かにキミの公主を守りたい気持ちは、誰より強かったよ。
そしてなぜかメンズたちが半裸で殴り合うというねー。
いや、眼福ですよ?眼福ではあるんですがー。
鶴守月はウロコを見せるからまあいいとして、博雅が半裸の意味よ。
百歩譲って。
ガタイの良い式神同士が、肉体美を誇示し合って戦ってると思ってやっても良い。
でもね。
翻訳の内容がウロ覚えなんですが、晴明役のマーク・チャオも脱げと要求されたらしくて、晴明には必然性なし意味なしと反論して、脱がずに済んだみたいなのを見たのよ。
それが本当だったのならば。
やっぱ言動だよね、監督。叩かれるにはそれなりに…
とまあ、映画そのものも周辺状況も、うーん…が多々あって。
だからもーね、この映画、主役は汪鐸と公主の王子文(ワンズーウェン)ってことでいいんじゃない?
晴明役のマーク・チャオと、博雅役の鄧倫のファンの方には大変申し訳ないm(_ _)m
だって冒頭から、めっちゃ存在感バリバリなんですよ。汪鐸先生。
晴明の師匠、年を取った賀茂忠行が冒頭出て来るんだけど、いやあ、老けメイクがこれほどに似合うとは。カッコいいったらないのよ、じいちゃんビジュアルが。
二役の鶴守月は鶴守月で美しいんだけど、賀茂忠行は若い頃より凄みも迫力もあったからね、じいちゃんビジュアルのほうが。年齢による目の曇りの演出なのか、ブルーグレーっぽいカラコンまで入ってて(CGかな?)、それが不思議な無国籍感を醸し出していて。しかも、死に際がなお素敵(笑)
公主役の王子文は、ドラマ「三体」で葉文潔(イエウェンジエ)の若い頃を演じてた方ですね。私は「三体」途中で挫折。VRゲームシーンになると、どーにも爆睡しちゃってっ(笑)
公主の登場時の、奇を衒いましたーみたいな化粧はどうかと思ったけど、それを施しても、キレイな人なんだろうなと分かる顔ってすごいなと思いましたわ。
哀しい公主。
彼女は、自分の身の内に禍蛇(かだ)という大蛇を封印していて、それが解けないよう人魚の肉を食べて不老不死になっている。周囲には内緒にしているから、老けないことの不自然さを隠すため、一定期間毎に別人に成りすましながら生きている。最初の本名、自分のアイデンティティも忘れかけるくらいに。
どれほど心を通わせた人でも、全員漏れなく自分を置いて死んでいってしまう孤独。人の精神の感覚としては、200年くらいまでが限界かなあ。
「葬送のフリーレン」みたいに、私はエルフだからねと、飄々と自分のしたいことをして淡々と生きているなら、もっといけるかなとは思うものの。フリーレンの感情の希薄さは、それなんだろうし。
そんな生に倦んでいた公主に、若い賀茂忠行が出会ってしまい、愛し愛されてしまい。
人である賀茂忠行には限界があるし、公主が人を愛してしまうと生がより辛くなって、禍蛇の封印に影響が出るから、彼はこれ以上、一緒にいてはいけないと離れていくものの、その能力を使って彼女を守る式神を作った。式神は誠心誠意守ろうとし、その意向に従おうとし、彼女の愛する人と同じ姿に自分を変えた。そのうちに、同じ永遠の生を欲して、禍蛇の封印を解き、その力を取り込んで自分も不老不死になろうとしてしまった。
だけど実は封印を解いてしまうと、器の公主にも影響が出ることを知らずに。
公主がそれを鶴守月に教えなかったのは、やっぱり彼はあくまでも式神であって、賀茂忠行本人ではなかったからなんだろうか。それとも、これでもう本当にどうなってもいいや、だったんだろうか。
っていうね。ここはとっても良くできてるんですよ。
これがベースで、封印されても尚、定期的に暴れる禍蛇の影を斬る役目を担って、賀茂忠行の弟子の晴明や博雅が絡んでいくってお話なのでねえ。
しかもアナタ、冒頭ついスルーしてしまいましたけど、晴明は出自で虐げられた経験から、人を守護するって気持ちが分からなくて、実力はあるのに一番の基本の守護呪ってのが使えない未熟者。なのに、それができなくたってこうすればいいじゃん的に慢心し、代替の術を師匠に向かって試してドヤってた。
だけどそのせいで師匠は、自分の式神の金霊子も犠牲にし、守護呪を展開できない晴明を守ろうとして自分が禍蛇の毒に冒され、亡くなる訳です。
目をかけて大事に育ててくれた師匠のためには発動しなかった守護呪が、博雅を守ろうとして発動できた訳だ。へえ。まぁそれも成長か。
あ、式神金霊子少年は「黒豊と白夕」の、大きくなった韓樸くんでしたわよー。
ちびっこ韓樸くんのほうは確か「天才基本法」の🧀チーズ世界にいたっけな。
公主と師匠の式神、鶴守月の悲恋っぷりは素敵でしたわよ。
来世は人として生まれたいと言う鶴守月に、人は辛いから月に生まれ変わりたいという公主。ならば私はまた鶴守月になってあなたを守ります、なんて切ない。寄り添っているのに、そこはかとない一方通行感もあり。
晴明が公主を、亡くなる間際の賀茂忠行の元に連れてったところもね。
賀茂忠行の本当の気持ちを知って、だけど相手は過去の幻影だから手は届かず、愛する人が崩れ去っていくのを見ながら泣き叫ぶ公主がね。辛い。
だからこそ、鶴守月の暴走を、公主は自らの手で止めた。
こっちが本筋じゃーんっ(大笑)
絆という意味では、晴明と博雅の間の、え?みたいなのより、賀茂忠行と公主、鶴守月と公主のほうが、よっぽど強くて哀しく切なかった。
だから、そうだなあ。
どこにフォーカスすりゃいいの?っていう散漫さだったのかもしれません。
でもそれは見る人に委ねられる、で、いいのか。そうかそうか。
汪鐸押しの私みたいなのは、そっちメインで見てOKよね(^m^)
汪鐸くんが気になる方や、細かいとこ気にしないで、ひぇー、中国映画って、すんごいなー、派手だなー、キレイだなーと見たい方にはオススメ。日本の安倍晴明のイメージと原作のイメージが強い人にはオススメしない、かな。
そういえば、博雅役の鄧倫も封殺中だとかで。その後、どうなったんかいな?
陰陽師 二つの世界 (侍神令)
こちらはですね。
ビジュアル的に、安倍晴明というコンテンツを演じるに申し分ないなと日本人でも思えるんじゃなかろうか、陳坤(チェンクン)って人は。そういう色気の持ち主。勿論好みはあるでしょうが。
「Fate」ってゲームの中国公式が、陳坤にコスプレさせたのが、日本でもゲームファンの間で評判になってたみたいですが、ゲームを知らない私でも、もーぉね、これはスゴイんだろうよと、思わせられた写真でした。
この方、若い頃より、今の方が遥かに素敵です。「風起隴西」の時も書いたかも。
って、あれ、どっちの映画でも老け専みたいなコト言ってますな、あたくし。決してそうではないつもりなんだが。
こちらの映画は、陳坤=晴明、周迅(ジョウシュン)=百旎(びゃくじ)コンビが主役。それでいいと思う。
こちらは、じゃなくて、こちらも、か(笑)
あ、でもポスターもその扱いですね。
この2人、知ってる人は知っている、所謂ソウルメイト的な関係で、一緒に事務所も立ち上げてたりするのですが、2人のシーンはやっぱり安定のって感じだったなあ。正面から見つめ合うというか、対峙し合うだけで、なんかこう、ぞくっとする何かがそこに漂います。
周迅も言わずもがなの有名な女優さんですが、イボくんの「無名」での存在感も凄かったよね。
思い出シーンで子供時代の交流も描かれてましたが、大人の2人の巧みなやり取りがもっと見たかったなあ。兄弟子も重要人物だし、博雅も神楽もいるんだけど、いや、違うでしょ、こっちの2人は狂言回し的役割でしょ、フォーカスするのはそっちじゃないでしょと思っちゃってました。途中まで、誤解したまま百旎が晴明を恨んでるから仕方ないんだけど。けど博雅と神楽の尺が意外に長くてな。こちらも、博雅ファンにはごめんよ、ですが。
ちなみに、子供の百旎役の艾米(アイミー)は「黒豊と白夕」の天霜門白師匠の娘ちゃん。
艾米は「とこしえの夢」のほうでも蜜虫役で一瞬、出てました。
博雅役は「晩媚と影~紅きロマンス~」で長安役だった屈楚蕭(チューチューシアオ)なので、公子役だった汪鐸と共演済のお方。
私はまだ未見ですが、どう見ても真っ直ぐそうな彼と、どう見ても歪んでそうな公子(笑)とは、恋敵、でいいんだよね?見よう。いつか。楽しみだ。
そういえば、神楽は、実写版「銀魂」の神楽役、橋本環奈を彷彿とさせる雰囲気でしたねえ。
ゲーム版が既に、そこからキャラ想起されてるのかな、分からないけど。
ただこちらも、晴明が百旎の式神扱いでした。ま、いいよ、もう。
晴明は、はっきりと半妖ってことで、式神の概念については、こちらのほうがしっかりしてたし。
だけど式神になれば、主という心の拠り所を得れば悪妖にはならず、決して裏切らないって先に百旎が言ったのに。おまえの言葉だぞって晴明にも言われてるのに、それでも晴明を信じ切れなかった百旎。
桃の花の式神も言ってましたが、これが人間の弱さってことかあ。
片や妖怪の式神たちは、愚直なまでに主を信じて従っているんだよね。だから晴明だって、そうなのに。
晴明の式神たちがね、異形のモフモフが多くて、それがカワイイったらないのよっ(笑)
猫飼いで毛並み好きな私にとっては、彼らが本当に愛らしかった。
だから、成り行きで鱗玉を飲み込んでしまった鎌鼬が、可哀そ過ぎた。哀しかった。
さんたろーう!(涙)← だけどちょっとだけ博雅のせいだよな…(ぼそっ)
真っ赤な鬼の天邪鬼も、なんだかんだ可愛かった。そして切なかった。この子は式神じゃなかったのに、殺されてもいいところを博雅に助けられてるから、命を懸けてくれた。なんって律儀な子。
物語にすいっと引き込まれたのは、こちらだったかもしれません。
だってまずモフモフに(笑)
飄々としてモフモフ式神たちと盗みを働いている晴明に。
晴明が有事に備えて、彼らに訓練させてるんだけど、ちびっこ毛玉たちが並んで戦闘訓練してるの。それだけでやられてしまった。うちの猫をそこに紛れ込ませたかった(違)
しかもこれは、命がけで人の世界を守るためなんだよね。陰陽寮からは目の敵にされてたとしても。
ラスボスがあの人なのは、他にいないから途中で気付くんだけど、それにしても雪女、強過ぎない?
晴明には負けちゃうけど、陰陽寮の人達なんか全員、ひとたまりもなかったよね。
これもまた、人と妖の資質の差ってことかな。でも、そんなんでよく妖怪たちを封じる仕事ができてたなー、キミたち。
それにどうしようもなく気付いてしまったからこそ、あの人は。
だけどいくら力が欲しいって言っても、あんな化け物になっても構わないなんて、どこで壊れたんだろう。
優しくみんなの面倒を見てたのは、単なるプライドと優越感だったんでしょうかね。だから自分よりダメなヤツと思っていた相手に、みんなの前で吹き飛ばされたショックが大き過ぎたのか?
しょーもな。それを言っちゃーオシマイカ…
晴明も、守護呪を逆に唱えろとか不穏なことを言われたのに、全く疑わなかったしなー。
だけど結局、魂を鱗石に封じられていた妖皇相柳は、あの人なんて一時の身代わりでしかなく、求めていたのは自分の血を引く晴明だったって、哀れなコトよ。
こちらも映像はとっても美しいです。異形が多いので終盤はおどろおどろしいけど。
博雅と神楽が忍び込んだ妖怪の街はめっちゃカラフルで、千と千尋っぽかった。
錦の襖の無限回廊みたいなのも、どこかで見た風だけど、そこで対峙しているのが晴明と百旎ってのがまたビジュアル的にも美しくて良かったよね。晴明が、こっちこっちーって呼び込んでる感じも。
陳坤も周迅も、そこにいるだけで、場を作れる役者さんだねえ。
ただ、ストーリーに関しては、こちらのほうが単純シンプルでしたね。
命をかけて主に忠実に従う妖怪の式神と、邪念が多過ぎて信じるべき人を信じられなくなる人間の対比。
考えちゃったのは、そこだけだったかな。だからこそ式神たちが可愛くってならなかったし。
なので、何も考えずに映像を楽しもうと思うなら、こっちかな。
だけどこちらも、赤髪の蜘蛛鹿男と戦う時は、肉弾戦みたいなもんでしたね。
最後、白髪となった晴明の決断。
もう人としての世界には戻れなくなってしまった。
なのにさあ、信じてくれなかった百旎が、先に裏切った百旎が、ここで、裏切らないという誓いを忘れたのかって言うのは、ちょっと片腹痛かったなー。そう言うしかないのも分かるけど。
後ろ髪引かれるのは、頑張った式神のみんなの存在だけだよ。もふもふの嘆きが辛いよ。
はぐれ者達の桃源郷も焼かれてしまったけど、なんだかんだどこかで集まっててくれるといいな。桃姐さんの元で。
きっと晴明は妖域の王として、人の世界との間の秩序を守っていくのでしょう。
最後、都の塔の上に立ってたけども。本人は出入り自由なのかしらん。
こちらも、続編があるような終わり方だったけど、あちらのコンテンツは思わせぶりで、先を作らないことも多いので、余り期待はできませんが(笑)
結局、映画2作とも、汪鐸と陳坤(とモフモフ)を堪能してるだけだったかもしれなーい(^m^)
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